関係クロスライン!
始まりはレオナの気まぐれに見える誘い文句だった。
「なぁジャック。今夜俺の部屋に来い」
「? わかりました」
ふと思いついた、といった調子で囁かれた言葉に、何か用事があるのかと首を傾げながら頷いたジャックは、どこか面白がるような色をのせたレオナの瞳に気付かなかった。
部活の練習を早めに切り上げ、一人レオナの部屋を訪れれば、個人にしては広々とした部屋の中に即座に招き入れられる。相変わらず広い部屋だと思わずぐるりと見回せば、以前訪れた時には気にならなかった散乱した衣類が妙に目についた。
生来の性分で反射的にそれらを片付けようと手を伸ばしたジャックの耳に、ついぞ聞いたことが無いような甘い低音で呼ばれた名前が飛び込んできて、耐性のないその色に煽られ反射的に彼は身を固くした。
「っ、なんすか?」
「お前なあ、そういうのはラギーにでもやらせときゃいいんだよ」
名を呼ばれ顔を上げた先には、右目に走った斜め傷以外はなんの痘痕もない整った顔があった。それに薄く笑みをのせたレオナはベッドに腰掛け、文句を紡ぐ声とは裏腹に楽しげな表情でおいでと手招きする。ジャックはラギーが『金取るッスよ!』と抗議する姿を脳裏に思い浮かべながらも、その手の動きに抗えず無防備に近づいた。
するとしなやかに伸びてきた手がジャックの腕を掴み、そのままベッドに引きずり倒す。
「っ!? な、に」
「なんだ、こういう事は初めてか?」
目を丸くし動揺を隠せないといった様子を見せれば、レオナは上機嫌に喉を鳴らしながら舌なめずりをしてみせる。唇からはみ出た赤く色づいた舌は、夜が近付き薄暗くなりかけた部屋の中でどこまでも扇情的に映った。
相手から滲む色香は大人のそれで、おそらくレオナはこういう事が初めてではないのだろうなとジャックは理解する。
――いつもこうやって自分のような、相手にとってからかいがいのある寮生を、連れ込んでいるのだろうか?
そう考えれば、何かモヤモヤとした黒い感情が僅かに腹の奥に貯まるのを感じてジャックは苛立ちに思わずぐるると唸った。同時に自分の上に乗っかっている相手を退かすべく上体を起こそうとするが、相手の体を押し退けようとした手は逆に指先を絡ませられる形でつなぎ止められ、もう一方の手がジャックの胸板を軽い仕草で押さえつけて身動きを封じられてしまう。マウントを取られているからか経験の差か、太刀打ちできない相手に唸ってみせると、己を見下ろしたレオナはそれを更に煽るように口の端を釣り上げて笑った。
「いい顔だな、ジャック。……そのまま、ちゃんと俺を見てろよ?」
片手で体を押さえつけたまま、レオナの腰が妖しく揺らめく。ズボン越しに相手の体が下腹部に擦りつけられれば、いくらそういった事に初心なジャックとはいえその先を想像してしまうのは必然だった。
「っはは、硬くなってきたな」
「…………生理現象、っす!」
「だろうな」
精一杯の反論も軽く同意する事で受け流し、ただ楽しそうな相手の声色は常と同じようでいてどこか艶を孕んでいる。憧れた男の見慣れぬ痴態を前に、ただただ体のあちこちに熱が集まるのが分かった。下半身も、顔も、そして押さえつけられた胸の奥も。
レオナの指が慣れた仕草でジャックの指の股を撫でる事にすら興奮はいや増し、不意に擦寄ってきた顔が首筋に埋まってその鋭い歯が与えてくる痛みすらもがジャックには甘い刺激だった。
「あ? 噛まれて興奮したのか。……へんたい」
ぐ、とレオナの体を押し上げるようにして膨らんだジャック自身に気付いてか楽しげにからかいを舌にのせるレオナに、アンタだからだ、と反射的に告げようとした言葉はしかし、相手の唇によって制され意味を持たず消えた。
レオナとキスをしている。そうジャックが頭で理解するよりも先に、体がカッと今まで以上に熱をもった。
ハッ、あつ……と口付けの間に相手が零した声に、その感覚が気のせいではない事を知る。
熱を厭ってか離れていく相手の上体を惜しむように、腰に手を回したのは無意識だった。
「……あ」
「! ……ッハ、犬っころもようやくソノ気になったか?」
レオナの尻尾が上機嫌だと分かる動きで緩慢にジャックの腕に絡みつく。パサ、と乾いた音が室内に響く。気がつけば、レオナはその身に纏っていた筈のベストもシャツも脱ぎ捨てて、美しい上半身を露わにしていた。
雄を煽る雌の様に、淫らな動きで腰を揺らしているのに、彼が此方を見下ろす視線はどこまでも傲岸不遜な支配者のそれだ。いつか見て憧れた男は、その整った顔にうっすらと笑みを浮かべて哀れな獲物を見下ろしていた。
動くな、と言葉で制されれば、魔法にかけられたわけでもないのに身動きが取れなくなる。いい子だと頭を撫でられ、状況と裏腹の子供扱いを不満に思いながら、先程無意識に腰に回した手で意趣返しにと相手の滑らかな筋肉質の肌を撫であげる。くすぐってえ、と笑われながらもその手の動きだけは咎められず、掌まで熱いんだなという言葉を投げられながらも好きに触れと逆に肌を寄せられた。
性の匂いが薄れたじゃれ合いじみた接触に、ようやくジャックの動揺が落ち着いてきた頃、再びレオナは彼の視界に爆弾を投げつけた。
レオナが次に動いて掴んだのは、チェス盤の裏側に雑に仕舞われていた中身が目減りし使い掛けだとわかるローションボトルだった。
訝しげなジャックの視線の先で、ボトルを掴んだ方とは反対側の手で自らのベルトを外し、ズボンを僅かにずり下ろす。ぎょっと目を剥いたジャックを一顧だにせず、レオナはローションを掌に広げて温めると恥じらいなど存在しないとばかりに彼の体の上で水音をたてて後を慣し始めた。
上体をジャックの胸元に寄せて支えにし、片手でアナルを慣らすレオナの姿は、ジャックの視界からは殆どがその頭やなだらかな背中で映るのみで局部が見える事は無い。けれど、人よりも鋭い聴覚で拾い上げた粘着質な水音と、余裕は失われないままに徐々に色を帯びていく表情や熱の籠もった息は、ジャックのなけなしの余裕こそをゆっくりと剥ぎ取っていく。
腰を掴んだままの手に思わず力を込めれば、待てぐらいできるだろ?と艶を孕んだ声が笑った。
俺は犬じゃねぇと叫んでしまえば、声に出した激情のまま相手を押し倒し、蹂躙してしまいそうで――純粋に力だけでいえば、おそらく勝てる筈であるが故に――ジャックは声をあげるのを戸惑い、押し倒され勝手をされていてもなお、戸惑ってしまった己に、そこでようやく彼は昔温めていた憧れという名の感情と同等かそれ以上に育っていた感情の名前を自覚する。
この傲岸不遜で優秀で奔放で卑怯な先輩を、自分は好いてしまっているのだ。据え膳を与えられ、それを拒めないふりをして受け入れてしまうぐらいには。
「……っ」
自覚した感情に揺らめいたジャックの視線に気付いているのかいないのか、レオナの手が不意にズボンを押し上げているジャック自身を煽るように撫でた。反射的に息を呑んだ狼に、獅子は喉を鳴らして笑う。
「こっちも、準備万端みたいだなぁ?」
「あ、せんぱ……っ」
レオナの手がジャックのズボンを容赦なく暴けば、押さえつけられていたペニスが弾けるように飛び出し、べしりとレオナの顔に当たる。軽く零れていた汁が僅かに彼の顔にかかり、それを目にしたジャックは居たたまれなさと、それを上回る興奮で身を固くさせた。
一瞬きょとんとした表情を浮かべたレオナはすぐに喉を鳴らし、すりっと掌で慰撫するようにペニスの先端を撫でる。先程よりもより直接的に与えられる快感に、ぶるぶると腰が震えれば、まだだとばかりに指が滑り落ち、ぎゅうと根元を指が締め付けた。
「っぐ」
「ちょっと早すぎ、だろ? ……もっと俺を楽しませろ」
僅かにレオナの体が浮き、次の瞬間ジャック自身がぬるついた孔へ誘いこまれるように押し込められる。ぎゅうと絡みつくように内壁が纏わり付き、今までに幾度か経験した自慰では到底覚えの無い快感に思わずぐるると喉を鳴らす。そんなジャックの反応を楽しげに見下ろしながら、レオナはゆっくりと腰を揺らめかせ、ジャック自身を気まぐれにきゅうと締め上げる。片足を持ちあげて結合部をわざと見せつけて来た時は、その淫らさに目眩がするかと思う程だった。慣らしている時は隠されていたレオナ自身も、今は緩く頭を擡げて快楽を覚えていることをジャックへと示している。その事にすら煽られて、けれど動くなと時折腹を叩かれれば大人しく相手に身を任せるしか無い。
与えられる快楽が物足りないわけでは無いが、どうしようもない飢えを感じ始めた時、先程よりレオナが腰を落とし、反射的にジャックは僅かに腰を突き上げる。その切っ先が奥を擦りあげ、終始優位を崩さなかったレオナの声に僅かに焦りが滲んだ。
「っあ、この……」
文句は意味をなさず、ぱたぱたとジャックの腹の上に白濁が飛び散る。その体が僅かに弛緩したのを見逃さず、ジャックはその細い腰を抱き寄せて、更にその奥を暴くように自身を突き上げた。
「ぐっ、あ……やめッ、この……」
先程まで好き勝手に己の上で踊っていた男の焦りに、興奮で理性が焼き切れかけたジャックはさらに気をよくしてなおもその奥に先端を擦りつける。もっと、もっと――相手にあるはずの無い子宮を探すように硬度を増したペニスはレオナの中を圧迫し、過ぎた快感で彼の身は一度ぶるりと震え、その上体が崩れ落ちる。
その一瞬の隙を突いて、ジャックはレオナと繋がったまま体を起こし、そのまま相手の体を逆にベッドに押さえつける。驚いたように見開かれた翠玉を見下ろして、ジャックは興奮にまみれた声で獰猛に唸ってみせる。マウントさえとってしまえば、純粋な力はこちらに分がある。精を吐いて弛緩しているならば尚更だ。彼自身の白で汚れた艶めかしい太股を掴んで、遠慮の欠片も無い動きで散々に揺さぶれば、耐えられないとばかりにレオナの口から声が漏れた。
先程までの優位を確信した煽るような声とは違う、それでもまだ批難の色が濃いそれは、かえってジャックの欲を煽る。
今までに彼を抱いた誰よりもその身を喰らって、よがらせて、己という雄を刻みつけたいという欲が。
ゆっくりと先端が出るギリギリまでペニスを引き抜けば、相手の中からまるで雌のソレのようにローションがごぷりと零れおちていく。抵抗してくる腕とは裏腹に、物足りないとばかりに吸い付いてくる内壁を素直ですねと評すると、ぎろりと鋭い視線で睨み付けられた。しかし引き結ばれた唇から罵声が零れることは無い。口を開いた瞬間に奥までねじ込んで、嬌声に変えようとしていたジャックの浅知恵などはレオナにはお見通しのようだった。ならば実力行使だと濡れた場所に幾度もペニスを突き入れて、入り口から奥の奥まで膨らみきった己で犯す。
「っぐ、あ……っの、クソ……っん、ん」
「レオナせんぱ、っは、きもちい、っすか? せん、ぱいっ」
「っるさ、あ、萎え……ぅん」
先輩先輩と声を落としながら、それこそ発情した犬のようにジャックはひたすら腰を振る。容赦ない責め苦に無意識だろう逃げを打つ腰を掴んで押しとどめ、相手の奥を突いてからカリ首に引っかけるようにして軽く腰を引く。引き攣ったような声がレオナの口からこぼれ落ち、ひくひくとその太股が震え、二度目の射精は今度は彼自身の腹を淫らに汚した。同時に搾り取るように容赦なくペニスを締め付けてきた内壁に、そこでようやくジャックもまた長い射精を始めた。
「腰が痛ぇ、跡が残ってやがる」
「抑えが効かなかったんで……すいません」
「っていうかお前、イくの長過ぎだろうが」
「すいません、そういうもんなんで」
全てが終わった後で延々と文句をつけてくるレオナに、誘ったのはアンタのくせに、と思いながらもジャックは肩を竦めただただ謝りに徹する。気怠げな相手に対して強く出られないのは、惚れた弱みという奴だろうか。しばらく後ひとしきり罵って満足したのか、レオナはこれ見よがしにベッドの端に腰掛けているジャックの隣で自らの下肢に指を這わせた。ぎょっと目を剥いたジャックに、もうやらねえぞと笑いを含んだ声が釘をさす。
「お前がたっぷりナカに出してくれたからなぁ? ちゃんと出さねえと腹壊しちまう」
「……すいません」
今度こそ身を竦ませたジャックを鼻で笑い、秘部に押し込んだ指を曲げてレオナは中に注ぎ込まれた精液をぼたぼたと掻き出す。汚れたシーツはどう洗濯すりゃいいんだろうか、と思考を散らしたジャックの耳に、不意に後始末だというのにわざとらしい喘ぎが飛び込んできた。反射的に身を強ばらせたジャックを流し見て笑うレオナに、嫌がらせかと理解しても先程までの行為を思い起こさせる声色に興奮してしまうのはもはや反射に近く、抑えられる筈も無い。
声に出して素数を数えはじめたジャックに、レオナはくくっとご機嫌に喉を鳴らすとふと気付いたように表情の色を変えた。
「っん……は、まあでもがっつきすぎじゃあったが、悪くはなかったぜ。初めてでこれなら、そこらへんの雌は大体満足するだろうな」
「……はあ」
極上の雄とのセックスの後で、いきなり雌の話題を出され、ジャックは困惑したように眉根を寄せる。しかしその表情に、再び視線を落としたレオナは気付かなかった。
「狼ってのは番を作るんだろう。興味があるから、出来たら教えろよ」
「は?」
そして紡がれた言葉に、思わずジャックは不機嫌そうな声を出してしまう。
よりにもよって、好きな相手その人から、己が別の相手と番になる前提の話をされるなんて!
けれどそんな声色も、明け透けな話題に対する不満だと思ったのかレオナはふはっとただ上機嫌に笑うだけだった。
「お前、クソ真面目だしなァ。変な雌に食われそうだろうが。初めて食っちまった代わりにちゃんと見定めてやるよ」
(俺が番になりたいのは、アンタですけど!)
楽しそうな相手にそう叩きつけてやりたくて、けれどそんなことを言える筈がなかった。そんなことを言ってくるような相手が、己自身に対してそういった情を持っていないのはどう考えても明らかだ。体を重ねたのだってきっと、レオナにとっては特別な行為なんかじゃないのだろう。
ベッドの端に転がっている中身の随分と減ったローションボトルを眺めながら、ジャックは相手と体を重ねたときには霧散していた筈の黒くひりつくような苛立ちが、再び腹の奥にとぐろを巻くのを感じた。
行き場の無い苛立ちを誤魔化すように、ジャックは後始末に没頭してこちらを顧みないレオナへ手を伸ばす。
「っ、おい何……」
「俺が出しちまったんで、手伝いますよ」
「はぁ? いらね……おい、ジャ……っぐ、この……」
「後始末、っすもんね」
後ろから抱きしめる様にして、レオナの体を拘束し、白濁がこぼれる股ぐらに潜っていた相手の手首を無遠慮に掴む。嫌そうに腕の中で身を捩る相手の姿を視界に捉えて鬱憤を晴らしながら、ジャックは相手の中から自身の種を掻き出しつつ相手の耳元にそっと唇を寄せた。
「こんな男子校じゃ、番が見つかるチャンスなんてそうそうないと思うんで……できるまでは、アンタが相手してください」
そして吹き込んだお強請りに、びっくりしたように目を丸めたレオナがジャックを振り返る。そんな表情に、やっぱりコレ一度きりのつもりだったんだなと思いながら、ダメ押しとばかりにジャックは相手の腰を撫でながら相手の笑みを思い浮かべて挑発するような笑みをその口元にのせる。
「まあ俺の体力に相手する自信がないなら、無理は言わないですけど」
普段し慣れない表情に僅かに顔がひきつる。当然の如くそんなぎこちなさは相手にはお見通しだったのだろう。
けれど、下手くそな挑発だな、などと溜息を吐きつつもレオナは肩を竦めると気が向いたらなという言葉をジャックに告げた。
素直では無い了承の言葉に思わず尻尾が揺れそうになるのを押さえながら、ジャックは毛繕いと称して相手の髪に顔を埋めた。
**
昼下がりのサバナクローの談話室は、授業が終わり生徒が帰寮した夕刻過ぎと違い普段は閑散としている。
その日も日の光を反射した水がキラキラと流れる最中に椅子に座っていたのは、午前の授業をサボタージュしていたレオナと彼を迎えにきたラギーの二人きりだった。まだ昼飯の気分じゃ無い、とラギーに買ってこさせたドリンクを口にするレオナはぼんやりと滝の飛沫を眺めている。暇を持て余した王族のような様だな、とその姿を眺めながらラギーは思い、王族のようではなく王族なのだと肩を竦める。本当の王族は、きっと暇を持て余したりなどしないのだろうけれど。
そんな正真正銘の王子様から駄賃として許可を得、相手の金で一緒に購入したドリンクにラギーが口をつけた瞬間、ふと今思い出したとばかりに口を開いた。
「そういやこないだジャックとヤったんだが」
「ブッ」
「おい汚ぇな」
「誰の所為ッスか誰の」
あー勿体ない、とテーブルに零れたジュースを拭きながら、ラギーはそれでも好奇心半分で話の続きを促した。寮長の性事情などこれっぽっちもラギーにとって興味のある事柄ではなかったが、知らないより知っている方が有利に働くこともあるだろう。例えば、話題にあがった一年生に対する際などにだ。
レオナは、あー……と一度考え込むように意味のない声を発し、そして頬杖をついて僅かに目を伏せる。
「狼ってのは番を作るもんなんだろう? ヤった後で、お前の生真面目さじゃ変な雌に騙されそうだから、番候補ができたら教えろって言ったわけだが……」
「どう考えてもレオナさんが変な雌じゃないッスか!」
ラギーはぴんと耳をたて呆れたとばかりに声をあげる。煩い、と反射的に目を細めたレオナは、ついでがるると牙を剥いて唸った。
「っておいラギー、誰が変な雌だ? 俺に食われてぇのか? 物理的に」
「オレはどう考えても骨と皮で美味くないんで、口の肥えた王子様にはオススメできないッス!」
強者の脅しに、勘弁してくれとラギーは肩を竦めて頭を振る。相手が本気で怒っているわけじゃないという境界線が分かるからこその暴言だ。すぐに牙を収めたレオナは、はあと頭を振った。
「まあいい、お前に言うような事でもなかった。忘れろ」
「そうっスよ! まあ忘れないッスけどね! ほらそろそろ昼飯の時間が終わっちゃうんで、食堂行きましょ!」
先程零したジュースも綺麗に拭き取って、空になったジュースのボトルはゴミ箱へと放り込む。面倒くさそうに欠伸をして動く様子の無いレオナをほらほらと急かしてラギーはサバナクロー寮を後にした。
バタバタと寮を後にした二人は、最後まで気付かなかった。
忘れ物を取りに寮に戻ってきていた男が、寮室と談話室に繋がる廊下の隅に佇んでいた事に。
二人が談話室を出て行ってもなお、ジャックは廊下で呆然としたように固まっていた。
(雌……? 食われ……? ッ、まさかラギー先輩も、レオナ先輩とこないだみたいなこと……)
途中から拾い上げた会話の切れ端が、ジャックの脳内でぐるぐると踊り、極論を導き出す。全て聞いていればそんな筈は無いと分かる結論を、訂正する存在は誰もいなかった。
(そういや、部屋に行ったときも、片付けはラギー先輩にさせる、って……いつもああいう事させて、そのついでに……?)
ラギーが聞けば思い切り顔をしかめて否定するような事を思いついても、生憎とラギーは他者の思考を自動的に察する魔法などを身につけてはいない。
一人悶々と考えこんでしまったジャックはその日の午後の授業や部活に身が入らなかった。
いつも真面目でストイックな彼のその有様を心配してくる同級生達にはなんでもないと誤魔化しながら、ジャックは不甲斐ない自分を恥じるように尻尾を垂らして寮へと戻る。さっさと寝て気持ちをリセットしようと思ったものの、体を重ねて以来より強く分かるようになったレオナの匂いがあちこちからする気がして、いつもならば10時には寝てしまうというのに、彼はその日に限ってそこから長針が一周してようやく眠りにつくことが出来たのだった。
翌朝、一時間の睡眠のズレにぼーっとしながらもいつもの時間に起きたジャックは、日課の走り込みを済ませると重い足取りで朝練へと向かう。当然ながら寮のマジフト場には既にラギーとレオナの姿があり、二人の並んだ姿を目にして悶々とした感情がぶり返すのを感じた。
いつもなら真っ先に挨拶をするのだが、今日ばかりはそんな気にもなれず他の寮生に紛れて行動しようとするも、そんなジャックの姿を目敏くレオナの瞳が捉えた。
「おいジャック」
「! ……なん、ですか」
静かな肉食獣の動きで近付いてくる相手に、ジャックが僅かに身を強ばらせて言葉を返す。ジャックの不自然な反応に気付いているのかいないのか、レオナは双眸を細め、ジャックの腕を軽く叩いた。
「お前、今夜暇か? 暇なら俺の部屋に……」
「ッあ、こ、今夜は……その、予定があるんで、すいません」
明確な誘い文句に僅かに気分が高揚するも、彼の隣で興味深げにこちらの様子を見ているラギーがいる事に気付いてしまえば、その感情はあっけなく反転する。反射的にジャックは断り文句を口にした。予定などあるはずも無いのに。
「へえ……そうか。まあ、ならいい」
どこか不自然な断りに、しかしレオナはあっさりと引き下がる。その反応にほっとする反面、残念に思う気持ちも止められず、ジャックは混線する感情を抑えるように内頬を噛みしめた。腹の奥がまた、ぐるぐると消化不良でもおこしたかのように唸っている。
恋とは、こんなにも己を情けなくするものか。
練習始めるぞとマジフト場の中心へ向かったレオナの後ろ姿をじっと眺めながら、ジャックは小さく息を吐いた。
結局その日もまた授業に身が入らず、錬金術では気を散らすなと叱られ、飛行術では道をそれるなと注意される。魔法史に至ってはちゃんと黒板に集中しろと言わんばかりにふてぶてしい猫に引っ掻かれる始末だった。
一日気もそぞろに過ごしてもなお、感情の持って行き所に迷い、部活ではタイムも計らずひたすら走り込みをする。地面を蹴って、冷たい空気を肺一杯に吸い込み、吐き出す。自分の中の感情が、息をする度に濾過していくような感覚に依存して、何度も運動場を往復した。
己の雑念を払うための走りは常よりもフォームが崩れている気がしたが、今はそれを修正する余裕すら無かった。普段であれば日が沈む少し前には練習を切り上げるところだが、雑念を払う為に集中しすぎたせいで、ジャックが気がついた時はほぼ日が落ちてしまっていた。
それに気付いたのも、止めに来たデュースの声掛けでようやく我に返って、だ。
「いつもにましてストイックな走りだった、流石だな」
「……まあ、ちょっとな」
愚直に称賛してくる部活仲間に、まさか邪な感情を吹っ切るために走っていたとも言えずジャックは言葉を濁しながらタオルで汗を拭う。それでも、自分を極限まで追い詰めてようやく、常の自分の感覚がほんの少し取り戻せた気がして僅かに表情を緩ませた。
軽く汗を拭った後、既に後片付けを済ませていたデュースと連れだってそれぞれの寮へ戻るべく鏡の間に向かう。すっかり日の沈んだ空を窓越しに見ながら、ハーツラビュル寮の特徴であるハートの女王の法律的に帰寮時間が遅くなって大丈夫かと問えば、最近は多少緩くなったのだとデュースは肩を竦めた。
人通りの無い静かな校内に、普段はそう言葉を多く交わす方ではないジャックとデュースの会話が響いている。授業の話、同級生の話、次の記録会の事、走り方――他愛も無い話をしている間だけはもやもやも紛れる気がして、ジャックは普段であれば話題にもださないような事を適当に口にする。デュースが己と同じように生真面目な部分もあるというのがその行為に拍車をかけた。
「昨日からジャックはいつにもまして練習に熱が入っているよな」
「……そうでもない。今日はタイムも測っていない雑な走りだった」
「それが分かるってだけでもすごい。僕はまだ、自分の身一つで走らせる感覚が慣れないからな」
「そうか? ……だからかもしれねぇが、基本に忠実でいい走りだと思うがな。お前ならもっとタイムも伸びそうだ」
「ジャックに言われるとそんな気がしてくるな、今度また改めてタイムを測ってみたい。手伝ってくれるか?」
「ああ」
部活仲間であり同級生でもある相手との気負わない気軽なやりとりを繰り返し、ようやくさざ波のような感情が落ち着いていくのを感じる。そうだ、相手が自分以外の誰かと寝ているなんてすでに分かりきってたことじゃないか。ラギー先輩がその相手の一人だから何だって言うんだ。抱いたときのレオナの反応を一瞬思い出し、思わずまた感情が昂ぶりそうになったのを慌てて首を振って抑え込む。体が熱を持ちそうになるのを尻尾をぱたぱた振ることで誤魔化して、たどり着いた鏡の間でそれじゃあなとデュースと別れた。
明日はこちらから、レオナを誘ってみようと思いながら。
昂ぶりを散らすのに苦心していたジャックは、彼らの近くまで来ていた男の匂いに気付かなかった。
「……ふうん」
ズボンについた葉をものぐさな素振りで払い落としながら、物陰からレオナが姿を現す。ジャックに予定があると断られてからどうにも気分が乗らず、朝から夜まで植物園でふて寝していた彼も、つい先程この鏡の間に戻ってきた所だった。
レオナは先程まで身を隠していた柱に僅かに体を預けながら、先程見たジャックの自分の前にいるときとは打って変わってリラックスしたような態度と、緩く振られた尻尾を思い出す。その視線が向けられた先にいたハーツラビュル寮生の顔と一緒に。
なるほど、先約ってのはあの一年とだったのか。
彼らが同じ部活である事を知らないレオナは――正確には何度かマジフト部の基礎練習中に顔を合わせてはいるのだが――僅かに汗ばんだ二人に対して妙な勘ぐりをし、そして勝手な結論を導き出す。
デュースこそがジャックの番候補だと。
流石俺は察しがいいなと一人頷く男に、唯一突っ込みを入れられるラギーは残念なことに今回もまたその場にはいない。レオナの誤解もジャックと同様に正されず、レオナは己の眉間に知らず刻まれた皺には気付かないまま、胸のざわつきの意味を知らぬままに、今後アイツを誘うのは止めておくか、と呟いた。
しかし、レオナがそう決心した翌朝、サバナクロー寮恒例の朝練をこなし終わり部屋に戻ろうとした彼に、ジャックがすっと近寄った。昨日みた光景を思い出して再びざわつきだす胸中に気付かぬふりで、どうしたと首を傾げてみせたレオナは、続いて相手から紡がれたセリフに一瞬言葉を失う。
「その、今夜は大丈夫なんですけど」
「――は?」
昨日の己の誘いを踏まえた――あからさまな夜のお誘いに、レオナは軽く目を丸めるが、己よりいくらも大きな図体の男が此方の反応を窺うように視線を落としてくる様が面白くも思え、すぐに表情をからかうようなそれへと切り替えた。
昨日心に決めた事など瞬時に投げ捨てて、レオナはしょうがねえな犬っころはと余裕たっぷりに笑ってみせながら頷いた。
その晩レオナの部屋を訪れたジャックは、最初の童貞っぷりが嘘のように最初からレオナに対してマウントを取った。
「今度は、俺に最初からやらせてください」
「あ? 何言……ッ」
部屋を訪れ開口一番そう告げた生意気な一年坊は、レオナが反論するよりも先にその体をベッドの上に押し倒した。薄いローションボトルをズボンの尻ポケットから取り出し、真新しいと分かる蓋を片手で空ける。最初から、の意味をようやく理解したレオナが抗議の声をあげるよりも先に、ジャックは有無を言わせないながらも丁寧な手付きでレオナのベルトと尻尾用のジッパーを外すと、ズボンを下着ごとずり下ろした。
ひやりとした夜の空気が肌に触れ、ぶるりとレオナが震えたのをどう受け取ったのか、宥めるようにジャックの手がレオナの肌を撫で、レオナはぐるると苛立たしげに唸る。
「じゃ……ッぐ、つめッ」
そんなレオナの声も意に介さず、ジャックはローションボトルの口を、露わになったレオナのアナルへ無遠慮に押し込んだ。そのままぎゅ、とボトルが握りこまれれば、レオナの胎内に温かいとは言い難いローションが直接注ぎこまれる。反射的にふるりと腰が震え、レオナは苛立ちのまま「つめてえ、クソガキ!」と罵った。仮にもサバナクロー寮長ともあろう男が、簡単にマウントを取られてしまった事への苛立ちも僅かに混ぜながら。
ジャックはそんなレオナの声に、慌てたようにローションボトルから手を離す。は、と息を吐いたレオナの口はしかし、すぐにジャックが指を押し込んできた事によって再び呻き声を零す。そうじゃねえ、となおも罵るが、ぐいと押し込まれた節くれ立ったジャックの指は、前回の記憶を辿っているのか後始末の時故意に避けさせた箇所を的確に狙ってきた。
反射的に跳ねてしまう体は上から押さえつけられ、熱を持った指によってぐちゅぐちゅと内部を掻き回されて響く水音はレオナの耳朶を犯す。耐えきれずにハッハッと獣じみた呼吸が口から零れてしまうのを、唇を噛みしめることで堪えながら、レオナはジャックを睨み付ける事で己の矜持を保った。
レオナのものよりも僅かに太い指が中の収縮に合わせて一本二本と増やされ、内壁を擦り、解していく。口の端からこぼれ落ちるのが息か涎か分からなくなる頃、はちきれんばかりに硬度を増したジャック自身がローションに塗れたアナルへと押し当てられた。
「せん、ぱ……!」
感極まったような切羽詰まったジャックの声は飼い主の許可を求める犬さながらで、押し倒され勝手を働かれていたというのにレオナの支配欲を満たした。
いいぜ、と低く囁いてやれば、待ちきれなかったとばかりにぐっと腰が押し込まれ、圧迫感に一瞬呼吸が出来なくなる。短い呼吸を繰り返しながらも無意識に相手へ腕を伸ばし縋るように抱き寄せれば、欲を滲ませた瞳を隠しもせずにジャックの顔が近付いてきた。
その瞬間脳裏に浮かんだのは、昨晩の鏡の間のジャックの姿。自分ではない相手の前で嬉しい感情を示すように振られていた尻尾を思い浮かべてしまったレオナは、反射的にその口を掌で押し返していた。
「んぐ」
拒まれるとは思っていなかったかのようにジャックの目が純粋な疑問符を浮かべ、きょとりとレオナを見つめた。
「……そういうのは、番相手にやれ」
「え、っだって、こないだは」
「あれは……サービスだ」
そんな訳はない。
奉仕の精神なんぞ、生まれてこの方レオナという男は持った事がない。それなりに鬱屈した立場ではあるが、この寮では基本的に自分のやりたいように生きている。
だがそんな心にも無い言い訳を盾にすれば、素直な狼は僅かに耳を伏せながらもそれ以上は縋らずに大人しくレオナの言葉に従った。本心では納得していないのか、耳や首筋や胸元にかじりつくのは意趣返しなのかもしれないが。口付けを交わさないぎこちなさのまま、彼らは互いに精を吐き出し相手の肌を白く汚した。
レオナとジャックの不道徳な関係は、それからも日を置かずに幾度も繰り返された。ジャックはその度に諦めきれないといった様子で口付けようとしたが、レオナは唇だけはけして狼に明け渡さなかった。
ジャックはそれを、レオナが己の番になるつもりがないからだと考えたようだが、実際の所は全くの逆だ。
それは番候補がジャックには既に別にいるだろうと考えてたレオナの、無意識の拒絶と抵抗だった。ジャックはおろか、レオナ当人ですら気付いていない事だったけれど。
ジャックに口付けを強請られる度に、レオナはどこかたまらない気持ちになる。キスの一つや二つ、最初に一度しているのだしと考えた事だって幾度もあった。それでも何故かレオナの体は、反射的にジャックの唇を拒んだし、拒んだことに傷ついたような目を見せる狼を見て奇妙な満足感を覚えていた。
彼は未だ自分の気持ちに気付いていなかった。サバナクロー寮生にしては生真面目な相手を、そうやって体と仕草でからかうのが楽しいだけだというレオナ自身への理解は、確かに全てが誤りではなかったが、正しいわけでもなかった。
男に組み敷かれるというなどという事を、幾度も許している事自体が彼を特別に思っているという事の証左だという自認が、自らが関わる恋愛に関してすこぶる鈍い彼にはなかったのだ。
好きという感情をのせたやりとりだけが存在しない関係は、誰からの介入も得ないまま一ヶ月ほどの時が過ぎた。
レオナの体が感じるところをジャックが殆ど知り尽くすにも、ジャックが好んで愛撫する場所をレオナが身をもって理解するにも十分な時間だ。そしてそれ以外の感情に気付くにも。
ある日の逢瀬で何かを言いたげに自身を見つめながら、それを押し殺すように乳首に噛みついてなめ回す狼の頬を両手で覆って持ち上げて、犬のようだと揶揄した瞬間、レオナはこのまま口付けたいという感情に襲われた。顔を寄せて鼻先を擦り合わせて……ジャックの目の奥に動揺の色を見て取った瞬間に、レオナは自分がしようとしていた行為と――それを行おうとしていた理由――己の感情にようやく気付いたのだった。
「レオナ、せんぱ」
「……ははッ、キスされると思ったか?」
掠れた声の後輩をわざとらしく笑い飛ばし、レオナはジャックの鼻先にがぶりとかぶり付く。最近はあまり思い浮かべることのなかった、自分では無い男の前で尻尾を振っていたジャックの後ろ姿が脳裏にちらつく。こうやって体を重ねていたって、ジャックの番はレオナではない。
生真面目なジャックのことだ、誰かと番っていたならこうやってレオナと体を重ねる事も無いだろうが、それでも己を番にしたいという気持ちがあるわけでも無いだろう。
そんなふうに己の思考に沈んだレオナは、ジャックの視線の熱に気付けない。
閨での相手を知り尽くした彼らにとって、互いの感情だけが知り及ばないところだった。
**
「珍しいっスね、レオナさんが真面目に走り込みなんて」
「基礎体力も大事だろ」
「いやまあそうッスっけど、そういうの真面目にやんの嫌いでしょ」
肩を竦めながら訝しげに自身を見やるラギーをわざと無視して、レオナは髪を雑に結びながら欠伸を噛み殺した。
三日と日を空けずにジャックと睦み合っていたレオナだったが、そんな生活を一ヶ月以上も続ければ否が応でも気付いてしまうことがある。例えば十代の底無しの体力との差、などにだ。
行為の後で気怠げにベッドに体を沈ませるレオナとは対照的に甲斐甲斐しく後始末を買って出るジャックの姿を見ている内に、彼はほんの僅か危機感を覚えていた。このままいけば最後の理性すら抱き潰されて、情けない姿を後輩の前に晒してしまうのではないか、という危機感を。あくまでほんの少しだが。
しかしジャックから誘われてしまえば断るのも妙に負けた気持ちになったし、なにより抱きたいという熱があからさまに籠もった目で見つめられれば、レオナには余裕ぶってしょうがねえなと笑ってみせる答えしか持ち合わせていなかった。
さてやるかと軽くストレッチをしていたレオナが顔を上げた瞬間、その視界の隅に運動場の端で仲よさげに顔を寄せて話し合っているジャックとデュースの姿が飛び込んでくる。それは以前鏡の間で見て以来の二人が一緒にいる姿だったが、以前とは違いその光景に己の胸がざわつく意味を、レオナは正しく理解していた。
「なあ、ラギー」
「なんスか? ここに来てサボリはなしっスよ」
「俺がサボった事なんかねぇだろ」
「嘘つくならもっと騙す気で来てくれませんかねぇ!?」
気心の知れた後輩としばし言葉のキャッチボールを(一方的に)楽しんでから、寮長は改めて彼に爆弾を放り投げる。
「番とかその候補が死んだら、狼ってのはどうなるんだ?」
デュースの姿を視界に収めながらの問いに、しかしラギーはえっと大きく声をあげる。
「レオナさん死ぬ気なんスか!?」
「は? なんで俺が死ぬって話になるんだ、アイツの番でも番候補でもねえだろうが」
「は? いや、いやいやいや」
レオナの言葉に目を剥いて、ラギーはブンブンと頭を振る。ほぼ日を空けずに行われるジャックとレオナの関係を、サバナクロー寮で最も正しく認識しているのは当事者二人を除けばラギー以外にいなかった。レオナの部屋の片付けは魔法で自動的に行われているのではなく、ラギーが(多少の見返りを得て)行っているので。
ジャックがレオナに向ける視線の熱をラギーは正しく理解していたし、レオナがジャックに向ける視線もまたこれまでになかった種類のソレだという事は分かっていた。
確かに最初行為の話を口にしたときのレオナは、自分以外の存在がジャックの番になるというような口ぶりではあったが、複数の情報をつなぎ合わせれば、現時点では狼である後輩の番が目の前の寮長だろうという認識を持つのは必然ともいえる。ラギーは訝しげに眉根を寄せた。
互いの認識の齟齬に、あわや二人の間で言い争いが勃発するかと思われたその時だった。
まるで風か弾丸もかくやというスピードで、白い塊が二人の間に飛び込んでくる。それは先程まで運動場の端にいたはずのジャックだった。
「ッ先輩が死ぬって、どういう事っすか!?」
先程のラギーの声よりも更に大きな声が運動場に響き渡る。ラギーとレオナの耳が同時に伏せられ、ばしりとレオナの手が咎めるように後輩の腕を叩いた。
「うるせぇ、今の声で俺の鼓膜が死んだ」
「! っすいません! いやでも」
「あーはいはい、ちょっとした誤解だ。事実じゃねえ。事実だとしても、そもそもお前が気にすることじゃないだろ」
面倒くさそうに言うレオナに、ジャックはぶわりと全身の毛を逆立てた。怒りとも違う、どちらかといえば閨での興奮にも近しいその気配にレオナが僅かに息を呑む。ジャックの両手が、レオナを逃がすまいとばかりに彼の肩をがしりと掴んだ。
「っ気にします! だって、俺は」
顔を真っ赤にして、徐々に狼は声を荒げていく。これは、と言葉の先を真っ先に察したのはサバナクロー寮で随一の空気の読める男、ラギーであった。そそくさとその場から離れるラギーに、互いを見つめる二人だけが気付かない。
自分の気持ちにすら鈍感な、顔だけ男のサバナクロー寮長は片眉を持ち上げて相手の言葉の続きを待った。
「俺は、先輩の事が好きですから……!!!」
「――ッ!?」
大きな声で紡がれた突然の告白に、レオナの思考は一瞬白く弾ける。
遠くから目を丸めてこちらを見ているデュースの姿や、同じく遠くから手を叩いて笑っている後輩の姿を視界の端に捉えたことで、なんとか気をとりなおしたレオナは、これが未だ日も高く昇った真っ昼間の、他に何人もナイトレイブンカレッジ生のいる運動場で行われているという事に思い当たった。
ひくつく頬を強固な意思の力で押さえ付け、ぐるりと周囲を見回したレオナは己の反応を伺う狼へとゆっくり視線を戻す。
そしてほんの僅か口の端を持ち上げると――
「場所を、考えろ!」
そう言って、思いっきり相手の顔を殴りつけたのだった。
そのまま狩りの際の獣もかくやという勢いでその場を後にしたレオナを追うことも出来ず、グラウンドにしゃがみ込んだジャックの肩を、ぽんとラギーが軽く叩く。
何かからかわれるかと身構えたジャックを見下ろす事もせず、ラギーはレオナが消えていった校内へと視線を向けるとにししと笑った。
「レオナさん、場所がここだったこと以外は何も文句言わなかったっスねぇ。……いやまあ知ってたっスけど」
そう言ったラギーは、ジャックの肩から手を離してひらひらと振る。その仕草の意味を正しく受け取って、ジャックは慌ててその場から駆けだした。
**
ジャックからの突然の告白に、動揺のまま自室へとたどり着いたレオナは、ぽすりとベッドへ倒れ込む。相手がああいった事で嘘をつく性分ではないと理解している以上、恐らくあの言葉は本当なのだろう。今までの自分の振るまいや考えがまるきりの誤解だったのだと分かれば己の愚鈍さが忌々しくてしかたない。
それもこれも全て紛らわしい事をするあの犬っころの所為だと最終的に大きな責任転嫁をしながら、わしわしと頭を掻いたレオナの耳に、遠慮がちなノックの音が響いた。
――ジャックだ。
一瞬居留守を使おうかと考えて、それでは今度こそ逃げたと同義じゃねえかとレオナは頭を振る。入れ、と短く促せば先程の告白の興奮がまだ残ってるのか常よりほんのり紅潮した顔のジャックが姿を現した。
「まだ部活の時間じゃねえのか? 悪い犬っころだな」
くつくつと笑いながらベッドの端に腰掛けたレオナの言葉を意に介さず、ジャックはゆっくりと傍らへ歩み寄る。
そしてその足下に跪き、無防備にベッドの上へ下ろされていた手を掴み、引き寄せた。
「アンタにとっちゃ、俺なんてそこら辺の雑種の犬みたいなものかもしれねえけど」
そして彼は訥々と言葉を紡ぎ始める。
「アンタは俺にとっちゃ一番最初の憧れで、嫌なとこがあっても色褪せねえ宝石みたいな存在で」
「俺はそれを目指して努力して、今ここにいるんすよ」
輝石の国出身である男の口説き文句は、生真面目でありながらもそれこそ宝石の様にどこまでもきらめいている。
眩しいその言葉たちに双眸を細めて、レオナはそっと掴まれていない方の手を伸ばして相手の頬を撫でた。
「つまり?」
「っ! レオナ先輩……好きだ。アンタを抱いた他のどんな奴よりも強くなるから――俺の番になってくれ」
返事の言葉の代わりに、レオナはぐっと身を屈めると、以前交わした時よりも熱を持った男の唇に口付けた。
「ところで、ジャック」
「なんすか?」
「俺が男に抱かれるのはお前が初めてだ、って言ったらどうする?」